シンガポールの華人の歴史〜国内最多となった理由とは?〜

シンガポールの華人の歴史〜国内最多となった理由とは?〜

シンガポールの華人の歴史〜国内最多となった理由とは?〜

シンガポールは多様な民族が居住する多民族国家として知られますが、住民の7割は華人(中国にルーツをもつ人々)で占められており、実質的に華人の国(中華圏)という見方をされることも多いです。

 

 

歴史

19世紀の清朝末期。中国南部(福建、潮州、広東、客家、海南島など)は飢饉と貧困が蔓延していました。南部住民の多くが、働き口を求めてマレーシアに移住し、開発が進んでいた錫鉱山やゴム農園で働きました。貧困層だけでなく、錫やゴムで経済が活性化するマレーシアで起業するために、移住してきた者もいます。

 

また同時期シンガポールはイギリスの植民地となり、東西貿易の中心地として急速に発展していきました。続きシンガポールへの移住が集中し、先住のマレー系住民を上回り、中国人街を形成されるほどのコミュニティとなったのです。

 

戦後

戦後まもなくシンガポールはマレーシアの一部となりますが、マレーシア連邦政府がマレー系への優遇政策をとったことで、マレー系と中国系の民族対立が激化します。ついには死傷者が発生する人種暴動にまで発展し、中国系の中心地だったシンガポールはマレーシア政府から脅威と見られるようになりました。そして1965年にマレーシアから追放される形で分離独立に至ったのです。

 

独立後のシンガポールはプラナカンのリー・クアンユーが独裁的と批判されながらも、類まれな指導力を発揮し、民族融和と優秀な人材の誘致を同時に推し進め、世界有数の経済国へと成長させました。

 

華人と華僑の違い

中国系の住民のうち、シンガポール国籍のみの人々は華人(Ethnic Chinese)、中国国籍を維持しながら在住している人々は華僑(Overseas Chinese)と呼ばれ、明確に区別されています。1986年に設立された「シンガポール宗郷会館聯合総会」は華人社会を総括する組織で、華人文化の普及と保護を目的としています。

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