シンガポール建国の父リー・クアンユーとは

シンガポール建国の父リー・クアンユーとは

シンガポール建国の父リー・クアンユーとは

リー・クアンユー(Lee Kuan Yew/李光耀:1959〜90)は、シンガポールの初代首相です。独立後のシンガポールの発展に大きく寄与し、「建国の父」として国民の敬愛を集める人物です。

 

リー・クアンユーの生い立ち

イギリス植民地時代のシンガポールに生まれた中国移民の4世です。彼は中国にルーツを持つプラナカンであり、幼いころから英語教育を受けて育ちました。中国語、マレー語、タミル語は後から勉強して習得しました。

 

青年時代

青年時代はラッフルズ大学で学業に勤めていましたが、日本軍に占領されたことで大学が閉鎖され、学業の中断を余儀なくされました。

 

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後にイギリスのケンブリッジ大学に留学し法律を学び、1950年にシンガポールに帰国。弁護士として働き始めました

 

人民行動党の結成

1954年にマレーシア連邦とシンガポールの合併および反植民地主義を掲げ、人民行動党を創設し、書記長に就任。1959年にイギリスとの交渉の末、シンガポールの自治権を獲得し、自治州の首相に就任しました。

 

シンガポール初代首相に

1963年にはマレーシア連邦に加わります。しかしマレーシア中央政府がマレー人優遇政策をとったことにより、暴動に発展するほど民族対立が激化。リー・クアンユーは中央政府の優遇政策を批判しつつも、最後まで打開策を模索し、連邦に留まろうと努めましたが、事実上追放されるように分離独立にいたります。

 

しかし独立後は強権的とも言える支配体制を確立するも優れた政治手腕を発揮。工業化と、世界中から優秀な人材の誘致を推し進め、国土も資源もなかった小国を、世界有数の経済国へと成長させました。また民族間の対立を防ぐべく、ヘイトスピーチやヘイトクライムを法で禁止するなど、民族調和を実現させました。彼が

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