シンガポールの歴史

シンガポールの歴史

シンガポールの建国経緯を、年代ごとにわかりやすく解説していきます。

 

7世紀頃

この時期のシンガポールは、シュリーヴィジャヤ王国の支配下にあり、テマセックという漁村として、それなりに栄えていました。海峡を通る商船を襲う海賊業を生業としていた住民もいたといいます。

 

12世紀頃

マレー人の史書によれば、12世紀にスマトラ島の王子がシンガポール島でライオンを発見。王子はその後ここに港町を築き、サンスクリット語で「ライオンの町」を意味する「シンガプーラ」と名付けました。

 

14世紀〜15世紀

シンガプーラは12~13世紀にかけて商業的に繁栄するも、14世紀末にジャワ島のマジャパヒト王国の侵略を受け滅亡してしまいました。15世紀にはマラッカ王国の支配に移行するも、ポルトガル王国の侵攻を受けシンガプーラは壊滅状態に。
その後生き残ったマラッカ王国の王族によりジョホール王国が建国され、シンガプーラもその支配下に入るも、その後300年以上海賊や漁民くらいしか住まない手つかずの土地のままでした。

 

19世紀(イギリス植民地時代)

1819年に、太平洋とインド洋を結ぶ交通の要衝にあるシンガポールに目を付けた、イギリス東インド会社のラッフルズ郷が、ジョホール王国からこの地を買い取り、自由貿易港を建設。都市の近代化を推し進め、シンガポールはアジアの中継貿易地として急速に発展していきました。1826年には海峡植民地に編入、1832年にはその首都に設定され、1833年には当初マレー系住民数百人しかいなかった人口が2万人に達しました。

 

※多民族国家に
中国大陸とのアヘンや茶といった交易がさかんになり、中国南部から職を求めて移民が大量に流入したことで、中国系住民が多数を占めるようになりました。その他インドやインドネシアからももたくさんの労働者が移住してきて、有数の多民族国家となりました。

 

20世紀(太平洋戦争〜マレーシア連邦)

太平洋戦争が勃発すると1942年2月に日本軍に占領され、昭南市と改名されます。日本敗戦後は再びイギリス支配下に戻りましたが、独立の気運が高まり、1959年にイギリスから自治権を獲得。その後1963年に独立したマレーシアとともにマレーシア連邦を形成しました。

 

20世紀(建国)

マレーシア連邦はマレー系住民が大多数を占めており、連邦政府はマレー人優遇の政策をとったため、それに中国系住民が反発。人種暴動が発生し多数の死傷者が出ました。民族対立の激化から、中国系住民が中心のシンガポールはしだいにマレーシア政府より脅威とみられるようになりました。

 

そして1965年8月に、シンガポールはマレーシアから追放される形で、分離独立。シンガポール共和国が成立。最後まで融和を目指していたシンガポール自治州首相のリー・クアンユーは独立を伝える放送で涙したといいます。しかし初代首相に就任したリー・クアンユーの指導のもと、70年代以降、急速な工業化とともに経済成長を遂げていきました。

年表

3世紀頃
漁村テマセックとして繁栄

 

14世紀末
「ライオンの町」を意味する「シンガプーラ」という呼称が定着

 

1402年
マラッカ王国の支配下に入る

 

1404-1406年
パルグルグ戦争の勃発(現インドネシア・ジャワ島中心部に栄えたマジャパヒト王国における内戦)

 

1511年
・マラッカ王国の滅亡(ポルトガルによる侵攻を受け。シンガプーラも巻き込まれ壊滅状態に)
・ポルトガル領マラッカの成立

 

1528年
ジョホール王国の建国(ポルトガルによる侵略から逃げ延びたマラッカ王国の王族により、マレー半島南部に成立)

 

1641年
オランダ領マラッカが成立(オランダとジョホール王国が協力し、ポルトガル領マラッカを攻撃したことにより)

 

1819年
1月
イギリス人トーマス・ラッフルズがシンガプーラに上陸

 

2月
・名称がシンガポールに改称
・ラッフルズ主導による都市計画の開始

 

1824年
イギリスによる植民地支配の開始(ジョホール王国が支配下のシンガポールをイギリスへ割譲したことにより)

 

1832年
イギリスの海峡植民地の首都となる(イギリス支配下で自由港政策を推し進め、急速に発展したことにより)

 

1869年
スエズ運河の開通(ヨーロッパとアジアが直接結ばれたことで、シンガポールの中継港としての価値がさらに上がった)

 

1873年
岩倉使節団がシンガポールに寄港

 

1876年
華僑による暴動が発生(海峡植民地政庁が郵便局業へ干渉したことに反発し)

 

1941年
太平洋戦争の勃発

 

1942年
・シンガポールの戦い(日本軍がイギリス海峡植民地シンガポールに攻撃を開始したことにより)
・昭南島に改名(日本軍によりシンガポールが陥落したことにより)
・シンガポール華僑粛清事件の発生(日本軍による中国系住民の虐殺事件)

 

1945年8月
・日本が連合国に降伏し日本軍が撤退
・イギリスによる植民地支配の復活

 

1957年
マラヤ連邦が独立

 

1959年
イギリスの植民地から自治領に昇格する

 

1963年
マレーシア連邦の成立

 

1964年
シンガポール人種暴動(連邦のマレー系住民優遇政策に反発する中国系住民による暴動)

 

1965年
5月13日
5月13日事件の発生(マレーシア史上最悪とされるマレー人、華人との民族衝突事件)

 

8月9日
マレーシア連邦からの分離独立

 

1967年
「血債の塔」の完成(シンガポール華僑粛清事件の犠牲者はじめ、日本軍占領期の犠牲者追悼のため建設)

 

1969年
シンガポール人種暴動

 

2015年
建国の父リー・クアンユーが死去

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イギリス東インド会社総督のラッフルズ郷が、シンガポールの地政学的価値に着目し、19世紀に植民を開始。無関税の自由貿易港を開設し、東西貿易の拠点にしました。インド、オーストラリア、中国大陸との交易がさかんになり、マレー半島で産出される天然ゴムやスズの一大輸出拠点になりました。名称も元々の名称シンガプーラから、イギリス人が発音しやすい英語風のシンガポールに改められました東南アジア有数の多民族国家にスズ...

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