シンガポールのプラナカン文化とは

シンガポールのプラナカン文化とは

シンガポールのプラナカン文化とは

プラナカンとは、イギリスを始めとした欧米列強による海峡植民地時代、15世紀後半から数世紀にわたり、中国(主に南東部の福建、潮州、広東など)からマレーシア一帯に商人として移住してきた中華系移民の末裔です。「プラナカン」とはマレー語で混血という意味で、「海峡華人(Straits Chinese)」とも呼びます。東西交易の中継地だったマレーシアやシンガポールには多くのプラナカンが住んでいます

 

プラナカンの言語

現地の文化に適応し、浸透していったのがプラナカンなので、ルーツの言語である中国語を必ずしも話せるとは限りません。どちらかというと旧宗主国イギリスの言語、つまり英語を母語として話す傾向にあります。シンガポール建国の父といわれるリー・クアンユーもプラナカンで、彼は英語とマレー語を母語としていました。シンガポールの公用語が英語なのは、彼がプラナカンだったことが非常に大きいといわれています。
プラナカンは、ババマレーと呼ばれる固有の言語を持つことでも知られますが、現在ではほとんど話す者がおらず、絶滅の危機に瀕している言語です。

 

プラナカン文化

東洋と西洋双方の文化を取り入れているのがプラナカン文化の独自性であり魅力です「ニョニァ・ウェア」と呼ばれるプラナカン風の食器は非常に色やガラが美しく、またプラナカンの民族衣装は「サロン・サバヤ」といい美しい花柄が印象的です。サロン・サバヤはシンガポール航空のCAのユニフォームにもなっています。

 

 

プラナカン建築

プラナカン建築の特徴はゴシック様式やバロック様式など、西洋の建築様式と、中国やインドなど東洋の建築様式が融合しているのが特徴です。パステルカラーの明るい色合いが印象的です。このような昔ながらのプラナカン建築の建物はブレア・ロードやエメラルドヒルの周辺で見ることができます。

 

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